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2011年02月05日

30万㎞突破

8年経過して30万㎞を昨日突破致しました。
色々な修理を重ねて、交換しない所はボデイとハンドル、エンジンくらい、あらゆる所を修理して、今は快適です。ナビも先日液晶が突然真っ暗になって交換しました、交換する所がなくなって、すこし寂しい気がします、ここまでお金と手間をかけるとまだ、頑張ってもらいたいですね。

30万㎞

2009年09月08日

学校のテーブル

小学校、こどもたちに合わせたテーブルです、単純にして、安全性とローコストに挑戦いたしました。
こどもの成長に合わせてテーブルを変えること、収納をするのに重ねなくとキャスターで移動出来ること、三台のテーブルを1セットとして移動出来ること。
フレームはスチール天板はネダレス合板と至ってシンプルです。

学校テーブル2

2009年07月11日

イギリスの車

梅雨の合間とは思えないよい天気の日でした。
車で走行中後ろでものすごい騒音がすると思いバックミラーて゜確認した所、今まで見た事も無い車が走って
来るではありませんか、思わずカメラを出して数枚の写真を取りました。
此れまでのどのように管理して来たのかはわかりませんが、状態の良さはすばらしい、公道を走らせるまでにはかなりの努力があったと思います。

ベントレ−1
ベントレー-2

2008年09月21日

シルエットの戦艦

中央道の談合坂インターから東京方面に向かって1㎞程の所から、上野原の市内方面を見たとき、電話のアンテナと其の周辺の、森のシルエットがまさにこちらに向かって来る戦艦のようです。
結構リアルで迫力があります。
渋滞でなければ見逃してしまうと思います。

戦艦のシルエット

戦艦

2008年08月21日

京の店

京の金網細工
辻和金網 http://www.tujiwa-kanaami.com/
昭和7年に創業現在三代目がこだわりの金網細工を製作しています。
見ていても飽きない手際の良さがまさに職人芸です。
足付き焼網は、コンロの火を和らげて均等に熱が回る細工は、経験と発想から編み上げられていると感じました。

金網屋

金網-1

2008年08月18日

アンティクな照明

京都、平安神宮近くの見つけた古い照明を、事務所のテーブルに下げて見ました。
タチバナ屋の店内は昔懐かしい照明ばかりです、其のなかでもシンプルな真っ白で楕円、今の照明
器具のカタログには無い形です。
電球の取り替えもこの頃の器具と違ってシンブルに出来ています。http://www.sukiyalamp.com

京都の店
照明

2007年02月13日

森林の不思議-2 森はダム

緑の水瓶
                              北杜市須玉町比志
森林土壌は落葉や落枝などが分解してできた腐植と言われる有機物を大量に持っている、これを中心に団粒構造が発達しています。また森林土壌は木の根が土壌の深くまで密に発達していて、根と土壌の間に隙間をつくり、さらに根が腐ってできた管状の穴や、小動物の通り道がいたるところにあります。この様に、森林土壌にはさまざまな形や大きさの孔隙をたくさん持つていてつながっていることから透水性が良く、同時に水を保ちやすいという性質を持っている。地表には落葉や腐植が堆積して、雨滴による土壌の浸食をふせいでいるいるので、土壌が目詰まりすることなく地表の水を土壌に浸透させることができます。
良い森林は森林に降った雨の一部は木の枝、葉や草によってそのまま蒸発して大気に戻っていきます。土壌に浸透しにくい裸地とか、土壌が水で飽和されている谷沿いの斜面で無い限り地表に達した雨水はいったん地中にに浸透し、直接地表を流れることはありません。森林土壌は一般に上から浸透の高い層、やや高い層と下に行くと基盤の層と言うようにいくつかの層になっています。
土壌の条件によって低い層へとゆっくりと移動いたします,このように良い森林は降雨後早々に川に流れ込む地表流出が少なく、また、土壌に浸透した水は土壌内に保持され長い時間をかけて、均等に配分され水の流れとして川に流れだします。
しかし、一方では、枝葉によって捕まえられた雨水は地表に達しないため、川の水の量が減ることになります。また森林は蒸散作用によって土壌中の水を消費しますから、其の分も川に達する水の量が減る訳です。
こうして洪水流出を緩和させています。
資料によると杉、ぶななどの混じった林と全閥の林に100ミリ以上の雨が降った時の川の水が1.2〜1.55倍、ピーク時の水の量は1,36〜1.81 倍に増加したとのことです。森林は木材をつくりだす場所であると同時に、大きな治水ダムであることがわかります。
人工林を良い森林にするのには、人の手を入れなければ良い森林をつくることはできません。

2007年02月12日

森林の不思議-1

森林の秘密-1

木が成長して森林となるのには、一枚一枚の葉の光合成による、有機物の生産があるからです。
光合成は、太陽の光エネルギーを利用して、炭酸ガスから炭水化物をつくり、酸素を放出している。
森林は成長しながらガス交換の役目をしています。
資料から1キログラムの植物体をつくる為には、約1.6キログラムの炭酸ガスを吸収して、約1.1キログラムの酸素を放出します。日本の森林ではいろいろな条件がありますが、1ヘクタールあたり15〜30トンの炭酸ガスを吸収して10〜23トンの酸素を放出しています。40人から80人の必要な酸素を供給していることになります。
元々空気中には21%の酸素が含まれていることから、森林が無くても酸素の不足することは起こりません。
問題は森林が呼吸して固定する炭酸ガスにあります。
通常炭酸ガスは大気中には0.03%含まれて太陽からの熱で暖められた地球の放熱を遮断して温室効果によって地球の温度調節に重要な役割を果たしています。炭酸ガスの濃度が上昇すると温室効果が上昇して、地球の気候が変わり、赤道を中心とする砂漠化が進行するとのことです。
このままですと、21世紀半ばには炭酸ガスの濃度は倍近い0.06%に達するようです。
森林は幹という炭酸ガスの貯蔵庫を持っています。光合成によって炭酸ガスの炭素を有機物に変えて幹に貯蔵しています、森林の保護だけでなく。元気な森林でたくさんの炭酸ガスの消費をしてくれます。
大気の炭酸ガス濃度の調節にかかわっている森林が生存と環境の問題として考えて行く必要があります。

2007年01月04日

ダリ展最終日

開催中になんとか見に行くことが出来ました。
これほど人気があるとは思いませんでした。列に並んで1時間、館内に入れたと思ったら、ひと、ひとでゆっくりと拝観していることが出来ませんでしたが、小さな絵の中に大きな世界に触れることができたことは感激です。

ダリ展-2ダリ展-1-1

2007年01月02日

クッパ大魔王

親の名前はメイプル
5年前12月31日に8匹のタルメシアンを出産、出産中に1匹が亡くなり、6匹が嫁ぎ一番育ちに悪い1匹が残りました。
生まれた時は真っ白でダルメシアン特有の斑点がありません。生まれて数日の写真です。
3ヶ月ほど親と一緒に生活させ、遠くは神戸、浜松にと嫁いで行きました。

我が家の王様-3
我が家の王様-2

我が家の王様-1
左からダイブ、インディー、オッド、メイブル、マロン、ジャック、クッパ、シロップ
我が家の残ったクッパの名前はテレビゲームのスーパーマリオに出て来るクッパ大魔王から取りました。
親のメイプルと一緒にいるせいか名前に負けず劣らず、大魔王そのもの我がまま放題、しかし人には優しいクッパ
です。

2006年12月31日

町のモニメント

町のモニメントも町の環境に適応出来ずに、枯れ始めてしまいました。
安全のため、半分以上がきられてしまいました。
犬の散歩道で夏には木陰を冬の葉の無い時の樹形も結構美しい木でした。環境の変化に適応出来ないとは言え其の前になんとかならなかったのでしょうか。
以前は幹線道路の脇で頑張っていた欅でした。お役目ご苦労さまでした。
其の作業は回りの安全から吊り切りと言う作業でした。吊り切りを見たのは初めてでしたから欅のことは忘れて作業を見とれてしまいました。

欅の吊り切り
吊り切りー2
吊り切り-3

2006年12月25日

平和の祈り

初めての広島です。
広島に来て最初に行きたかった平和記念公園です。
1945年8月6日午前8時15分の悲劇の一瞬、私はこの場所に立つまでは遠く山梨の地で雑誌や、メディアからの情報ででしか、悲劇の現実を知ることは出来ませんでした。ドームと平和公園は今は平和の祈りの為のモニメントとして全世界に知られています。
其の一画に原爆の悲劇を展示した、原爆資料館があります。
原爆資料館は原爆による被害の実相を世界中の人々に伝え、核兵器廃絶と世界恒久平和の現実に寄与るために設置され1994年に改築を機に新しい、広島平和記念資料館として開館しました。
東館は被爆前と被爆後の広島の歴史的事実、西館被爆者の遺品と写真などを展示しています。
展示館されている遺品が、我々に語りかけています。

平癒の祈り
原爆ドーム-2

原爆ドーム-1

2006年12月23日

ハローインのその後

ハローインから数ヶ月、しかめ面をしていた主役たちも捨てられて、また来年の栄養として土に戻るのです。
そう思うと楽しそうに笑っている物、泣いているいる物、考えごとをしている物と、人に似せて私はどれでしょうか。

ハローインから

奈良の元興寺

奈良の元興寺
奈良高市郡の飛鳥の地に588年に正式に仏寺建立に着手其の寺が元興寺の全身である、法興寺で地名によっては飛鳥寺とも言われている寺です。
このお寺を建設にあたって、百済の王様が職人を派遣して来たとのことです。其のときの瓦博士が造った日本最初の瓦は、その後この寺が奈良の現在地に移築された際も運び移さて、現在の本道、禅室の屋根に今も数千枚が使われています。
特に重なりあった丸瓦の葺き方は行基葺きと言われています。
1200年もの歳月の中風雨にさらされて耐えて来たこと、それを引き継いで修繕して来た職人に脱帽いたします。以前の元興寺の敷地は放題な広さで、現在の東大寺も元興寺の境内だったとのことです。
もちろん前回投稿した、十輪院も元興寺の敷地とのことです。
1200年の歴史とロマンのあるお寺です。

元興寺

1200年の歴史

2006年12月10日

明かり取り-1

一度は通り過ぎましたが、Uターンして思わず見とれてしまいました。
トップライトにしては少し派手すぎる。
木製の窓、真壁構造からして35〜40年はたっていると考えられる。サンルームとして南にもうけるとしたらばわかるのですが、なぜ北の屋根に硝子を乗せたのか良く分かりません。
考えられることは、当時この家の住人のが美術系の趣味または仕事をしていたのでは無いかと、想像した。
屋根勾配は8寸ほどあると思いますだからと言ってけして変でもなく、細部の水回りまで結構奇麗に出来ているのに関心しました、次回内部を見学に挑戦してみます。

硝子屋根-1

硝子屋根-2

硝子屋根-3

2006年12月09日

棚田の石積み

甲斐市清川にある棚田良く知られている棚田の風景は田んぼと田んぼの段差は大体が斜面になっていて雑草で青々としている風景が、写真や雑誌で紹介されますが、この場所は田んぼの段差が大きく盛り土では崩れてしまうこと、また耕作面積を広げるためにも、少しでも境界を垂直に近くすることで、耕作面積を確保しているとことまた、観光地で有名な昇仙峡の裏側に面し、清川の上流に位置していて谷間の場所であるがために、耕作をする場所も限られてしまいます。
石垣の隙間を使って稲の乾燥に利用していると思われます。
多分上、下の田んぼの持ち主が同じ方で石垣に階段を付けて作業をしていたと思います。合理的に考えられいます。
この石積みを見ていると、滋賀県に行ったときの織田信長の城跡を思い出します。
石垣と言えばなんと言っても、安土城の石積みでしょう。比叡山延暦寺の門前の坂本にいた穴太衆の建設した、玉石を用いての積み方で自然の素材を使ってあまり手を加えずに積み上げる方法。
安土城の復元模型を見て石積みの技術と、織田信長の建築的なセンスに感動したことも思いだします。
私の地元の甲府城にも穴太衆の仕事とのことです。
もしかしたら、この場所にも其の影響があるのではとロマンを感じました。

棚田の石積みー2
棚田の石積みー3

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2006年12月01日

野辺山の家

野辺山の家
設計はN設計室の永田先生です。
八ヶ岳も雪景色になったのですがこの季節は中々かおを出してくれません。
今回は朝焼けと八ヶ岳をバックにOMの家を撮影したくて早起きをして挑戦してみました。
朝日は良かったのですが、八ヶ岳は顔を出してくれません、朝焼けの風景は幻想的で本当にすばらしい風景です。
何となく心があら荒れる時間を感じました。其の景色がまた建物を映りだしてすばらしい景色でした。
この写真が取れるまでは、投稿をさけていました。
永田先生の設計で仕事をさせていただいたのは今回で2棟めです。前回は八ヶ岳の南麓に位置して真っ正面には、南アルプスが雄大に見え、其の景色を大きな窓から、取り込んだすっきりとと落ち着いた建物でした。
野辺山の家は永田先生の設計の中でも、これほど屋根の勾配がある建物は拝見したことがありません。
しかし八ヶ岳の景色に映えて、撮影したくなる建物です。
内部は永田さんらしく広い空間を天井の高さで適度にめりはりを付けて、落ち着いた雰囲気と窓からの景色の取り込みで開放感を感じさせてくれます。
再度挑戦して投稿いたします。
ozawa

野辺山の家-2

野辺山の家-1-1
内部ー2

内部

2006年11月28日

奈良の十輪院

奈良の十輪院
11月9日、2年ぶりに奈良にに行く機会がありました。
今回は奥村昭雄夫妻が一度は訪れてみたいと言っていたお寺です。
話に聞くと吉村順三先生が大変お気に入りの場所とのこと、私も何回と無く奈良に行っていますがこのお寺は初めてでした。奈良のお寺としては大きな門構えも無ければ外観からも、一見住宅とも取れるほどの大きさですしかし、軒の高さとフサードが絶妙なバランス、なんと言っても柱梁の構造材の大きさのバランスが美しい。
内部の低い天井は棹縁天井となっていて蔀戸が用いられ、垂木を用いず厚板と特異な組物で軒を支えているとのこと
軒および床を低く抑え、屋根の反りが少なし、建築当時の住宅を感じさせる要素が随所に見られます。
この後近くの今西家を見学十輪院が先か今西家が先かと思えるほどのお寺でした。

十輪院-1
渡り廊下Jpg
正面-1

2006年11月26日

甲州街道

甲州街道  甲州から東京へ
説明看板ー四方をやまやまに囲まれた山梨にとって昔から重要な交通ルートであった甲州街道。其の甲州街道にあって一番の難所と言われたのが笹子峠です。
其の難所に開削された笹子隧道は、昭和11年から13年3月に完成、抗門の左右にある洋風建築的な2本並びの柱形装飾が大変特徴があります。
昭和33年に現在国道20号線に作られた笹子トンネルが開通するまでこの隧道は、山梨、長野から東京までの幹線道路として甲州街道の交通を支えていました。

しかし、このトンネルにも政治的権力が感じ取れます。大月側からと反対の勝沼側からとでは全くにても似つかない抗門にびっくりいたしました。
山梨に住んでいながら一度は、見学したいと思っていた。この場所には似合わない風景ですこしがっかりしました。
徳川幕府は慶長から元和年間にかけて甲州街道約200kmを開通させた、笹子峠は日本橋から諏訪までの中間地点、峠は標高1096m甲州街道の一番の難所であったと思われます。

少しさぼったブログを復活とこれからの方向性に、先が見えた方が良いと思いエントリーいたしました。

笹子峠の隧道
峠からの甲府盆地

2006年07月13日

除草作業車

長野県富士見町の別荘地のBe−hous 建築現場脇で、エンジン音だけで無く小石をはじき飛ばす大きな音がして、何事かと早々に飛び出してみたところ、道路の除草作業車でした。ゴルフ場の除草作業中でも見たことがない代物で、遠くから見るとトラクターが掃除機の吸い込み口をつけて走っている様に見えます。
平らな所ばかりでなく、傾斜も実にうまく操作されています。建築現場を忘れて見とれていました。
四輪のトラクターにアームを取り付けて、その先に芝刈り機が取り付いているようです。
よく見ると巨大な掃除機の様に見えますが、除草した草はその場所に細かく飛び散るという簡単な仕掛けの物です。傾斜を上ったり降りたりすることが無いので、危険性は無く、操作もなれると奇麗に刈り取ることができそうです。

2006年07月07日

高過庵



2006年06月25日

和菜屋 宴

在来木造工法 店舗併用住宅 和菜屋 
敷地を探す段階から店舗の希望を優先させるため、なかなか気に入った敷地を見つけるまで到達出来ませんでした。

「住宅街では夜間の車の出入りでご近所に迷惑がかからないだろうか。」「敷地内での駐車スペースがどれだけ確保できるか」など、敷地の条件はかなり厳しい中、現在の店舗の近くでなんとか見つけることができました。敷地探しで時間がかかってしまい、完成までの工期があまり残ってませんが、計画もまとまり今後の着工を待つばかりとなりました。

今回の計画では、駐車スペースをどのようにとるか、それによって店舗のエントランスが決まってきます。山梨は車社会ですから、駐車場の無いようなお店ではお客様に来て頂けません。
オーナーの食へのこだわりと、間取りに陰をつくって落ち着きを持たせることを考えています。完成後は食と彩をいかがですか?

2006年06月11日

蔵の街 川越へ


30年ぶりの川越に来ました。
学生のころ、『川越蔵造り町並み保存』のコンペで現地調査をして以来です。何人かの仲間と図面を分担してなんとか期限に間に合わせて…結果は佳作でした。
今回は現地調査ではなく、OMソーラー協会の会議の合間を縫っての散策です。
以前の町並みは、ひっそりとしていて観光客といってもそれほどは見られず、蔵のはがれ落ちた漆喰にむしろ風情を感じたことが思い浮かびます。

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2006年06月05日

山内丸山遺跡

iseki.jpg
文化財の山内丸山遺跡を見学することができました。

ここには野球場を建設する予定だったそうですが、史跡が発見されたため発掘調査をし、再び土を1メートルほど盛って、保存の為に埋めてしまったそうです。史跡を表面に出してしまうと風化してしまうので、適度な湿度を保つために土中に埋めて保存しているとのことです。

この山内丸山遺跡は5000年前の住居跡だそうです。
右側の建物ははっきりとしませんが、集会所か儀式のための場所らしいとのことです。
左の塔は何らかの儀式に使われたものと思われます。
一般的な住宅にしても集会場にしても、また左の塔にしても、決められた寸法の上で計画されていて、人の一部をスケールの基準にしてその何倍かのグリットで建築されていることの説明がありました。
今現在でも、民家のスケールは人の背の高さ「ヒューマンスケール」から鴨居の高さと間取りのスパンができています。5000年前にどのようなモデュールを使ったのかはわかりませんが、今の時代の建築に通ずることが何ともすばらしいことだと感動いたしました。

また、和田峠の黒曜石。谷村美術館近くの糸魚川で採れる翡翠が、この集落で原石の加工がされていたそうなんです。その翡翠には糸を通す5ミリほどの孔が開いていますが、いったいどのような道具で固い石にあなを開けたのか、またどのようにしてこの場所に原石を運んできていたのか驚くばかりでした。

2006年05月26日

板倉の屋根の吹き替え

yane.jpg
木曽の奥村設計所の板倉の屋根を吹き替えました。

昨年(平成17年)は、板倉の本屋の屋根を大工さんを中心として吹き替えましたが、今年はなんとか素人集団だけでと計画を立てていたものの、このごろの天気の変化は激しく、やはりプロの手を借りないと短時間で作業を終えることは出来ませんでした。

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2006年05月16日

もみの木食堂

外観-2
もみの木食堂がオープンしました。
八ヶ岳の南麓に面した長坂町小荒間
 小荒間は、かの武田信玄が諏訪・上田・小諸方面を治める時の大変重要な拠点として、また最短コースで侵攻するための戦略的にも重要な通路として棒道がつくられ、古戦場跡として今でも面影を残しているところです。
 そこに建つ“もみの木食堂”のテラスからは雄大な甲斐駒ケ岳や北岳を望むことができます。新緑の息吹を感じることができるこの場所で自然と調和した雰囲気を堪能しつつ、一杯のスプーンの中から溢れるほどの幸せを味わうことができると思います。
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