山梨や長野県には皇室直営林の山が今でも多くあります。この頃はきっと、原生林ですばらして原木が搬出されたと思います。
しかし、当時軌道を使って搬出された時期は、第二次世界大戦のまっただ中できっと、戦争の為に作られた軌道ではないかと少し寂しい気が致します。
其の後この地に成長の早い唐松を植林したということでしょう。
木材乾燥の技術が進んで建築材料として使用する事が出来るようになったのもついこの数年前です。
当時何の為に唐松の植林をしたのか、良くわかっていなかったのでしょう。
原生林の天然唐松は、銘木として高い評価がありますが、当時植林された利用価値の無い唐松は手入れもされずに放置されて来ました。
この頃は外材の伐採規制や、原油高騰の為に外材の値段が高くなり、合板や集成材に唐松が使用されています。
今この唐松に命を入れて建築材料として使用しない限り、此れからの新しい山を作って行く事は出来ません。
地産地消で私たちの家造りが少しでも、貢献出来ればと思っています。
当時軌道で八ヶ岳登山口の美濃戸から中央線富士見駅まで搬出し貨物で関西や関東に送られたのでしょう。
200年住宅て先の見えない話ではないか、何処に焦点をあわせるか大変難しいテーマです。
ブランドだから安くは無い、物の価値観にねだんを付ける事は出来ませんが、評価によって値段があっても良いのではないかと思います。それは誰が評価するか、そこに住む人の満足度に値段がつくのでは無いでしょうか。
住み続ける家、住み続けられる家には価値観が無いと誰もが大切に使ってくれません。
住む人のブランドであって造る人のブランドではありません。
しかし私は、ものを造ると言う事、一つ一つに言語がある事は本当に大切なことでは無いでしょうか。
言葉でかたちを表現する事は消えることはありません。物の価値観を言葉にする文字に残す事が、どれほど大切な事かがこの会議で感じました。
私の母校お茶の水の文化学院です。
何年ぶりかでもんをくぐってみました、以前より立て替えの話があり保存の話は聴いていました。
面影はアーチ、と奥の階段で全体の雰囲気からすると異質に感じました。
以前は蔦が絡まってマロニエ通りでも印象的でした。
今は申し訳なさそうにたたずんでいるのが印象できです。
以前の理事長で西村先生が回りの反対を押して建築科を設立、30年ほど続いたかと思いますが。今は建築科もなく、ちょと寂しい感じが致します。
今は駿河台の予備校がまわりを取り囲んで、以前の面影は全くありません。
しかし、近くのアテネフランセ,1962建築の吉阪隆正さん設計の建物が残っていたことが、ほっとしました。